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1966年6月30日未明、静岡県清水市のみそ製造会社の専務一家4人が殺害され、金品を奪われた上に、自宅が放火された。静岡県警は同年8月18日、元プロボクサーで、当時みそ会社の従業員で、2階の寮に住み込んでいた袴田巌さんを強盗殺人と放火容疑で逮捕した。袴田巌さんは、事件当時アリバイがなく、元プロボクサーであったことから、はじめから警察によって犯人と決め付けられていたと言える。警察側の主張する決め手は、袴田死刑囚の部屋から押収したパジャマで、パジャマからは被害者の血液型と一致する微量の血痕と、放火に使われた油と同じ油染みが検出されことで、当時、最新の科学捜査の成果と評価された。
8月18日に逮捕されてから起訴されるまでの間、平均して十二時間を越える取調が猛暑のなか行なわれている。その間、トイレに行く時間も与えられず、取調室に「おまる」の様なものを持ち込んで調べられている。そして、20日後の9月6日に「虚偽の自白」を始めるのである。後に本人はそのときのことをもうろうとして取調官の顔もわからず、内容も全く理解していなかったと書いている。この9月6日から9日の間の4日間に供述(「自白」)調書が四十五通取られている。(この供述調書45通のうち、静岡地裁が証拠採用したのは1通だけという)拷問のなかでの「自白」は毎回のように動機・犯行態様などが変わっていく。事実関係をしらない当人と取調官によって事件を作り上げるため、知りえた情報からお互いに話を作り上げていくために出てきた結果であるからそれは当然のことだろう。しかし、この時点では確定判決の中核をなす、犯行着衣としての五点の衣類は全くでてこない。犯行はパジャマでおこなったことになっている。なぜなら、逮捕理由になった押収したパジャマからの肉眼では確認できないほどの、血液と油のみが、犯行に唯一結びつくものであったからである。
後に所在があきらかになった静岡県警作成の内部文書「清水市横砂会社重役宅一家四名殺害の強盗殺人放火事件捜査記録」には、「袴田の取調は情理だけでは自供に追込むことは困難であるから、取調官は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることにつとめる。・・・犯人は自分ではないという自己暗示にかかっている・・・・この自己暗示を取り除くためには犯人だという印象を植え付ける必要がある」と総括している。
1審公判中の1967年8月、みそ工場のみそタンクから大量の血痕が付着したズボンやシャツなど計5点の衣類が発見され、袴田被告が実家に預けた荷物からは、このズボンを仕立てた際に余ったとみられる布切れ(共切れ)が見つかったことから検察側が、犯行着衣を変更、冒頭陳述を訂正するという異例の事態に発展した。しかし静岡地裁は1968年9月11日、犯行時にパジャマを着ていたとした袴田死刑囚の供述調書を証拠採用したまま、「家族とアパート住まいをする金欲しさに4人を殺害して金を奪い、専務宅に放火した」と犯行を断定して死刑を判決、東京高裁(1976年5月18日)や最高裁(1980年11月19日)も一審の判決を支持し、14年にわたる裁判は決着、死刑が確定した。
死刑が確定した翌年の1981年4月、弁護団は、確定判決のした事実認定は、素朴な市民生活上の経験則に照らしても、余りにも不自然・不合理なものである上、「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の鉄則を踏み外した、明らかに誤ったものであるとして静岡地裁に再審請求、日本弁護士連合会も袴田事件委員会を設けて全面的に支援した。
だが、静岡地裁は1994年8月9日、弁護団の主張は「確定判決に合理的な疑いを生じさせない」として請求を棄却する。当然弁護団は、東京高裁に即時抗告した。抗告審で弁護団は、衣類の鑑定をもとに
(1)ズボンの繊維密度を元にサイズを算定したが縮みを考慮しても、袴田死刑囚ははくことはできない 
(2)ズボンの裏地よりも下のステテコの方に血が多く染みているのは不自然
などの新証拠を提出したが、2004年8月27日、東京高裁はこれを棄却した。 弁護団は9月1日、最高裁に特別抗告し、2005年7月6日、再審を求める署名を最高裁に提出、現在に至っている。

現在、死刑が確定している死刑囚は約100人。そのうち、一番最初に死刑執行されそうなのが、この袴田死刑囚なのである。
なお、2005年現在、袴田死刑囚は40年に及ぶ拘禁生活から袴田死刑囚は拘禁性精神障害を患い、家族、支援者との面会もほとんど出来ない状態になっている。 

当時、死刑を確定した時の裁判官は3名で、3名の合議により死刑が確定した。しかしそのうちの一人の裁判官は公判の途中から、無罪であると確信していたのである。しかし2対1の多数決で死刑が確定したのである。無罪と確信していた裁判官はその後、罪の意識を感じ裁判官を辞職している。「袴田死刑囚は無罪であると言わざるを得ない。裁判のやり直しに全面協力する。」と述べた。

日本では検察に起訴されたときの有罪の確定率は99%を超えているのである。つまり、検察に起訴された時点で一巻の終わり。裁判なんて、ただの儀式でしかない。フランスでの有罪確定率は50%代。これが当たり前の数字であるはずだ。こんな無茶苦茶な裁判の制度の日本で冤罪がなくなる訳が無い。冤罪で犯人にでっち上げられた袴田さんの人生を奪ったのは警察であり、検察であり、裁判所である。「前例が無い」「いかがなものか」が口癖の事なかれ主義のこんな犯罪者のような集団に殺されたと言っていい。

官僚・政治家そして警察組織。本来ガラス張りであるべき重要な部分が常に自分たちのご都合主義で隠し通す。本来警察の取調室は全て録画するべきだ。録画していればその取調べが適合か否か、一瞬で判断できるではないか。それによって救われる人が何千人いたであろうか。冤罪事件の背景には裁判官のキャリアシステムの問題があるとも指摘されている。「裁判所では、検察を信頼して、無罪を出さない裁判官の方が出世する。それに地方の裁判官に比べ、最高裁のおひざ元の東京高裁では特に再審決定を出しにくい」こんな裁判官の出世のために人間の裁判を公正に行えない裁判制度なんて必要ないだろ!


獄中書簡(1983年2月8日)袴田さんの書簡です
「……殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った。そして、連日2人1組になり3人1組のときもあった。午前、午後、晩から11時、引続いて午前2時まで交替で蹴ったり殴った。それが取調べであった。……息子よ、……必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいる所に帰っていくよ」

◇一様にほっと--当時の捜査関係者
 「よかった」「当然の結果」。「袴田事件」の捜査にかかわった当時の捜査関係者は、再審請求の棄却を知って一様にほっとした様子をみせた。
 捜査の指揮を取った元幹部は「大事件だったし、念には念を入れて捜査した。時間がかかっても直接に、間接に証拠を固めた。棄却は当然だ」と当時の捜査への自信を改めてのぞかせた。一方で、再審決定が出ることも覚悟していたといい、「私たちも袴田死刑囚が憎いわけじゃない。高裁がどう判断してもやむを得ないと思っていた。今さら捜査できるわけでもないし」と話した。事件当時、袴田死刑囚の取り調べにあたった元捜査員は「捜査に間違いはなかった。だが、もし再審になったら無罪になるかもしれない。(棄却されて)よかったよ」と漏らした。→→→→→→→→"Fall into the hell"



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